〔目次〕
古点とは十世紀半ばごろに梨壺の五人が『万葉集』に付けた訓点〔:漢文を訓読するための手掛かりとして書き入れる文字や符号〕、次点とは平安中期から鎌倉初期にかけて大江匡衡や藤原基俊などが付けた訓点、新点とは鎌倉時代に仙覚が付けた訓点を言います。
「参考1」の「御子左家」の解説で、「伏見天皇が一二九三(永仁元)年に勅撰集の企画〔:永仁勅撰の議〕をした時に、撰者に予定されていた二条為世〔ためよ〕と京極為兼〔ためかね〕は、万葉歌の採否をめぐって、為世は反対し、為兼は賛成をして、意見が対立しました」というようなことを書き記したものの、鎌倉時代にどういう流れで『万葉集』の歌の採否が議論になったのかも、その時はよく分からずにいました。
ということで、その後の『万葉集』をゆるゆるとたどってみようと思います。